褒める時の注意点

「褒める教育」の落とし穴

 近年刊行された子育てに関する書籍には、「褒めて育てる」「子どもには罰より報酬が重要」「褒めることで自信をつけさせる」といった主張が多く見られます。テレビやインターネットなどでもその傾向は変わりませんし、確かにこの考え方は多くの人にとって受け入れやすいものだと思います。
 しかし、「褒める教育」には落とし穴もあると主張する人もいます。脳科学者の中野信子さんは著書「空気を読む脳」の中で次のように述べています。

 《たしかに、いつも「いい子だね」と伝えて育てることで、自信に満ちあふれた幸せな子どもに育ちそうな気がするでしょう。でも、このやり方に一度も違和感を持ったことがないという方は、意外と少数派なのではないでしょうか?(中略)褒める教育で育てられたはずの若い世代は、もっと自信を持って積極的に困難に挑戦する人が出てきてもよさそうなものなのに、かえって慎重になり、上のどの世代よりも保守的になっているように見えることすらあります。》

 次節から詳しく見ていきますが、この本の中で中野氏は褒めること自体を否定してはいません。ただ、「どのように褒めるか」が重要だと繰り返し述べています。子どもにとって良い影響を与える褒め方とはどのようなものなのでしょうか。

褒めるのは「能力」ではなく「努力」

 中野氏は例として、コロンビア大学で行われたある実験を挙げています。それは知能テストを受けた子どもたちを2つのグループに分け、テストの結果を伝える際、片方には①「本当に頭がいいんだね」、もう片方には②「努力のかいがあったね」とコメントをするというものです。すると、続くテスト(易しい問題と難しい問題のどちらか自分で選ぶ)の時に、難しい問題を選ぶ子どもの数が①のグループより②のグループの方が多かったというのです。
 「頭がいい」と評価された子どもは、その評価を失いたくないために、確実に成功できる問題ばかりを選択し、失敗を恐れる気持ちが強くなるのではないか、と実験者は評価しています。また、この実験には続き(長くなるので詳細は割愛)があり、『頭がいい』とほめられた子どもは、「自分は頑張らなくてもできるはずだと思うようになり、必要な努力をしなくなる」「嘘をついてでも『頭がいい』という評価を維持しようとする」という傾向が見られたといいます。政治家や科学者などの世界で「捏造」「改竄」「記憶違い」などが頻発するように見えるのも、彼らが周囲から「すごいね」「頭がいいね」と褒められ続けて育ってきたことが原因のひとつにあるのではないか、と中野氏は指摘しています。
 ここから分かることは、子どもを褒める時は、褒め方に注意が必要だということです。その子のもともとの性質、能力ではなく、努力や時間の使い方、工夫に着目して褒めてあげることが、挑戦することを厭わない心を育て、望ましい結果を引き出すことにつながると言えるでしょう。

報酬はやる気や創造力を減退させかねない

 「褒める」に似た行為として「ご褒美(報酬)をあげる」というやり方があります。この方法の効果を調べるため、スタンフォード大学で実験が行われました。子どもたちに絵を描かせる際、2つのグループに分け、片方のグループには「良く描けた絵には素晴らしい金メダルが与えられる」と告知しておきます。すると、そのグループの子どもたちは、もう一方のグループより、課題に取り組む時間がずっと少なかったのです。あたかも報酬を与えることそのものが、子どもたちを絵から遠ざけることになってしまったかのような結果でした。実験を行った学者たちは「大人がご褒美の話をしてきたということは、絵を描くという作業は辛いことに違いない、と子どもたちは判断するのだろう」と分析しています。
 創造力を要する作業では、報酬の存在はのびのびと発想を広げることを阻害する原因になりやすいということです。人にやる気を起こさせようとする時、多額の報酬を与えることはほとんど意味がありません。短期的には励みになるかもしれませんが、長期的に見ればかえって意欲を失わせる原因になる可能性があります。
 かつて野村克也という野球の監督がいました。彼は選手に時々ペーパーテストを受けさせることがあったそうです。しかし、テストのあとで評価基準を聞いてみると、正解かどうかは二の次で、「少々間違っていても、一生懸命考えて、たくさん書いてくるほうが、ワシは好きや」と言っていたというのです。選手の知識量や頭の良さを褒めるのではなく、努力と工夫を褒めたのです。子どもにやる気を起こさせ、持続させるためには、即物的な報酬ではなく、その努力の過程を認めてあげることが最良の方法であると言えるでしょう。